久しぶりのサンデースクランブル
のはずが...
企画が整わず流れてしまいました(T_T)
でも声をかけていただけるのはやっぱり
嬉しいものです。
せっかくなので私のレポーター遍歴をひも解いてみたいと思います。
フリーアナウンサーの一つの大きな目標が、
リポーター。
私はデビュー2年目くらいで、
TBS「エクスプレス」のオーディションのお話をいただきました。
いきなり朝の帯番組のレポーターなんて
到底無理と思っておりましたよ。
だって書類だけでも200人近い応募でしたしw
今だにオーディションの内容を覚えています。
各曜日のえらいプロデューサーが並ぶ中、
その時話題になっていた竜巻のレポートを
「即興で」と言われ、半泣きでこなしました。
合格はスタ誕方式で
欲しい曜日のプロデューサーが手を挙げる方式。
当時まだ20代のういういしさがよかったんですかねえ、
なんとか月曜、火曜の担当で 男性で
唯一の合格となりました。
ただ合格したからすぐお仕事!と言うわけには
いきません。
レポさん何人かいるので
だいたいが早い者勝ち。
事件現場に一番早く着いた人が
レポートなんてのもありました。
いつ何が起きるかわかりませんので
日中は局のスタッフルームで事件事故を調べ
「この案件いきませんか?」とディレクターに
売り込み。
夜中いきなり「今、出られる!?」なんてのも
しょっちゅうw
一回パチンコをしている時に呼び出しがあり、
隣の人に玉をあげるなんてこともありましたよw
まあ、でもほんとレポーターのイロハを教わりました。
多くの現場に出ましたが
印象深いのが大阪、池田小での児童殺傷事件です。
人生初めての生中継でもありましたし、
事件が事件だけに2日徹夜しての大変な取材でしたが、
頑張ったかいがあり、その日のTBSのほぼ全ニュースで
インタビューが採用されました。
んで、その時以来ついたあだ名が
「日本一暗いレポーター」
「エクスプレス」が終わった後も
引き続き「おはようグッデイ」も事件事故担当に。
メインMCは露木茂さん。
確かフリーになって初めての番組だったはずです。
その後、ラジオではじめてのレポーター。
しかもニッポン放送の朝の顔、高島ひでたけさんの
「おはよう中年探偵団」
作家さんはいるものの構成だけで喋る原稿は
自分でつくるというのも初めてでした。
しかもあの高島さんの前でしゃべるんですからねえ。
今、考えても膝、震えますw
「中探」が長い歴史に幕を降ろし、
私は古巣、TBSに戻り
お昼の「はぴひる」に
MC長島一茂さんと田中律子さん、
報道とはまったくかけ離れた
軽めのレポート。
衣装がベレー帽にトランプの兵隊さんみたいな格好で
目立つ事目立つ事、途中から青色の
ヨットパーカーにかわりましたがw
お金持ちに密着!みたいのが
多かったかなぁ
名古屋の100億さん吉川社長とか。
あ、「わけあり物件」なんてのも紹介しました。
そういえばレポは他に猫ひろしさんがいましたよw
楽しかったですが、「はぴひる」早めに終わってしまい
再び報道へ。
現在の「ひるおび」の前身「きょう発+」
恵俊彰さん司会です。
ここでは騒動関係が多かったですね~
迷惑花火とか夏に3日間夕方から朝方まで
大阪や神戸の浜辺にスーツで毎週おりましたw
珍妙な事に確かこの時期だと思うのですが
フジの「スーパーニュース」も掛け持ちしてました。
おなじく騒動もので、確かタイトルが「騒動の怒まん中(どまんなか)」
基本、怒ってる人取材なので、
身の危険を感じる時が多かったです。
「きょう発」が終わるとテレビ朝日からお声をかけていただき
「サタデースクランブル」に。
メインのレポーターとして番組終わりまで
出させていただきました。
とにかく毎週いろんな取材に出ましたね。
連続立てこもり、詐欺犯人直撃、ゲリラ豪雨に朝青竜。
途中MCの川田亜子さんが亡くなられた時は
ほんとショックでした。
そして現在もお世話になっている
「サンデースクランブル」
出番は少なくなりましたが、
声をかけていただいた時の
テンションの上がり具合を考えると
やっぱり私の根っこはつくづく報道だなと感じます。
企画が整わず流れてしまいました(T_T)
でも声をかけていただけるのはやっぱり
嬉しいものです。
せっかくなので私のレポーター遍歴をひも解いてみたいと思います。
フリーアナウンサーの一つの大きな目標が、
リポーター。
私はデビュー2年目くらいで、
TBS「エクスプレス」のオーディションのお話をいただきました。
いきなり朝の帯番組のレポーターなんて
到底無理と思っておりましたよ。
だって書類だけでも200人近い応募でしたしw
今だにオーディションの内容を覚えています。
各曜日のえらいプロデューサーが並ぶ中、
その時話題になっていた竜巻のレポートを
「即興で」と言われ、半泣きでこなしました。
合格はスタ誕方式で
欲しい曜日のプロデューサーが手を挙げる方式。
当時まだ20代のういういしさがよかったんですかねえ、
なんとか月曜、火曜の担当で 男性で
唯一の合格となりました。
ただ合格したからすぐお仕事!と言うわけには
いきません。
レポさん何人かいるので
だいたいが早い者勝ち。
事件現場に一番早く着いた人が
レポートなんてのもありました。
いつ何が起きるかわかりませんので
日中は局のスタッフルームで事件事故を調べ
「この案件いきませんか?」とディレクターに
売り込み。
夜中いきなり「今、出られる!?」なんてのも
しょっちゅうw
一回パチンコをしている時に呼び出しがあり、
隣の人に玉をあげるなんてこともありましたよw
まあ、でもほんとレポーターのイロハを教わりました。
多くの現場に出ましたが
印象深いのが大阪、池田小での児童殺傷事件です。
人生初めての生中継でもありましたし、
事件が事件だけに2日徹夜しての大変な取材でしたが、
頑張ったかいがあり、その日のTBSのほぼ全ニュースで
インタビューが採用されました。
んで、その時以来ついたあだ名が
「日本一暗いレポーター」
「エクスプレス」が終わった後も
引き続き「おはようグッデイ」も事件事故担当に。
メインMCは露木茂さん。
確かフリーになって初めての番組だったはずです。
その後、ラジオではじめてのレポーター。
しかもニッポン放送の朝の顔、高島ひでたけさんの
「おはよう中年探偵団」
作家さんはいるものの構成だけで喋る原稿は
自分でつくるというのも初めてでした。
しかもあの高島さんの前でしゃべるんですからねえ。
今、考えても膝、震えますw
「中探」が長い歴史に幕を降ろし、
私は古巣、TBSに戻り
お昼の「はぴひる」に
MC長島一茂さんと田中律子さん、
報道とはまったくかけ離れた
軽めのレポート。
衣装がベレー帽にトランプの兵隊さんみたいな格好で
目立つ事目立つ事、途中から青色の
ヨットパーカーにかわりましたがw
お金持ちに密着!みたいのが
多かったかなぁ
名古屋の100億さん吉川社長とか。
あ、「わけあり物件」なんてのも紹介しました。
そういえばレポは他に猫ひろしさんがいましたよw
楽しかったですが、「はぴひる」早めに終わってしまい
再び報道へ。
現在の「ひるおび」の前身「きょう発+」
恵俊彰さん司会です。
ここでは騒動関係が多かったですね~
迷惑花火とか夏に3日間夕方から朝方まで
大阪や神戸の浜辺にスーツで毎週おりましたw
珍妙な事に確かこの時期だと思うのですが
フジの「スーパーニュース」も掛け持ちしてました。
おなじく騒動もので、確かタイトルが「騒動の怒まん中(どまんなか)」
基本、怒ってる人取材なので、
身の危険を感じる時が多かったです。
「きょう発」が終わるとテレビ朝日からお声をかけていただき
「サタデースクランブル」に。
メインのレポーターとして番組終わりまで
出させていただきました。
とにかく毎週いろんな取材に出ましたね。
連続立てこもり、詐欺犯人直撃、ゲリラ豪雨に朝青竜。
途中MCの川田亜子さんが亡くなられた時は
ほんとショックでした。
そして現在もお世話になっている
「サンデースクランブル」
出番は少なくなりましたが、
声をかけていただいた時の
テンションの上がり具合を考えると
やっぱり私の根っこはつくづく報道だなと感じます。
0コメント